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来 賓 挨 拶


伊達 宗行
大阪大学 名誉教授 
日本原子力研究所 評議役

 ご紹介いただきました伊達でございます。今日、ホームグラウンドに帰って参り、10周年というお祝いの場に出させていただいたことを大変喜んでおります。そこで今日はこの激動の時代に何を申し上げるべきかと迷いましたが、非常に遠いところから話をはじめたいと思っております。
 

 明治9年に札幌に農学校ができ、初代校長にクラーク博士が来られました。この方は、Boys, be ambitious.で日本中にその名前が知られている方であります。アメリカでは全く評価されなかった方であり、田舎の農学校の校長からサバティカルで1年来られただけです。しかし、当時、興隆期の明治にあって青年の心を非常に激しく揺さぶり、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾という3人の偉人を育てたということで、永く歴史に残る方であります。最近読み物をしていて、実はこの方がもうひとつ非常に大事なことを言われたことを発見しました。

  それは、日本に参りまして文部省に、「新しい農学校の校長です。よろしくお願いします。」と言った時、文部省は丁度出来上がった学校の校則を見せました。ところがそれを見たクラーク博士はうんざりして、「こんな細かいことを色々書いて規制をする、縛ってはいけない、ただ一行でいい、それはBe gentlemanだ」といわれたそうです。しかし当時もお役所は堅いところであり、校則がBe gentleman.では通らなかった、ということもまた歴史的に事実です。この話は非常にインプレッシブに感じます。原子力のような、大きな災害を絶対に起こしてはならない世界におきましてはあらゆる規制が先行致します。ここは厳格な言葉で厳密に書かれているという世界であります。

  そういう世界の中で、基礎科学をやるという場合には、先天的に規制・諸規則が先行するということが実際に多いと思います。しかし私は原点に戻って、基礎科学でもその本質はBe gentleman.であるという重みを少し皆様にも考えていただきたいと思い、こういう話からはじめたわけであります。
 

 サイエンティストの集団ですから、それに対応する言葉、例えばBe scientist.、ということでいいかどうかということになりますと、必ずしもサイエンティストの位置付けがジェントルマンのように確立してないでしょう。ジェントルマンというのは、七つの海を支配して世界に冠たる大英帝国が作り出した象徴的な言葉であり、自らを律するに厳しく人に寛容であり、またすべてのことに目を開き、誠実さ、真剣さを持ってあたるべき、人のあるべき姿を示したような言葉です。それは単に、Ladies and gentlemen. というスピーチの接頭語ではないと思います。クラークさんはクリスチャンですけれども、哲学的で思想的な方でもあったように思われます。それでは我々が科学者の社会においてBe gentleman.としてあるべき姿は現代においてどんなことか、齋藤理事長がペンタクォークの話をなさいましたので、その発見にかかわりのある知られざるジェントルマンの話をしたいと思います。
 

 私がここのセンター長をしておりましたときに、大阪大学核物理センターの運営委員会のメンバーとして出席しておりました。このとき、江尻核物理センター長が、実はSPring-8で、これは非常に高性能の電子の蓄積リングからでる放射光を使う最先端の装置でありますが、その電子ビームの性能の優秀さを利用し、その外からレーザー光を打って、リングで回っている電子にぶつけますと、光が跳ね返ります。これがコンプトン効果の逆で、逆コンプトン光、レーザー光が非常にいいものですからこれを跳ね返すとものすごくいい、シャープで性能のいいガンマ線ができる。SPring-8本来の研究とは大分ちがうが何とか実現したい。ところがこういう学際的な仕事は、文部省が認めないんだと言っておられました。

  そこで私は原研も協力することを約束し、紆余曲折がございましたがこの装置が実現しました。そして、グループリーダーになっていただいた藤原守さんが、非常に誠実に、かつすばらしい技術でこれを完成されたのであります。当初はそれから出てくるφ中間子と原子核の相互作用を調べたいということであった訳です。しかし今度、中野さんはさらにその上を行って炭素原子核内の中性子にぶつけた訳です。そういう抜群のアイディアで、当初の計画にはない、5個のクオークで出来た粒子を世界で初めて発見することに見事成功したわけであります。そのとき感じたことは、江尻センター長は私の定義のジェントルマン、自分の守備範囲に必ずしもこだわらない、全体を非常によく見通せる聡明な方で、学問がどういうものであるべきかということを、的確に理解しているジェントルマンです。その手法がはなはだ斬新で世界に無いし、画期的なものであるということがピンと分かる。若い人にこの装置を作って渡しておこう。この発想が今日花ひらいたのです。ですから私は、この実験を成功させたのは、表に名前は全く出ませんけれども、江尻センター長の功績が大変大きいということをここで申し上げておきます。
 

 話が変りますが数日前、著名な会社、デュポンの日本の責任者のお話を伺うチャンスがあり、そこでの主題、日本とアメリカの科学技術の動向に非常に興味を持ちました。それは、日本とアメリカでそのフェーズが逆になっており、かつそれが大体10年単位で変わっている。最近のところですと、10年前、日本は基礎科学振興、基礎科学、科学技術ただ乗り論というのが叫ばれ、日本はそういうのを軽んじていいのかということで、基礎科学重視が叫ばれました。このセンターができたのもそういう雰囲気の中にあったと言えると思います。ところが、実はアメリカがそのときは基礎科学軽視に偏っていたのだというのがそのデュポンの説明です。
 
  日本をターゲットにして、当時の日本の極めて効率の高い経済のやり方、会社の運営の仕方、基礎科学よりは応用重視をとりいれたそうです。それを表にみえるように声高には叫ばなかったが、深いところでそうなっていった。その結果この10年間に起きたことは、例えば、ベル研究所あるいはIBM研究所というようなところは基礎科学を完全に放棄して、それまでは、ノーベル賞を量産してきたこれらの研究所からノーベル賞は今後でないであろうといわれるようになりました。ところが今、日本はそのアメリカを追って実利研究型に向いてきており、基礎科学は軽視されつつある。一方で実はアメリカは現在、基礎科学重視に変更しつつあるというのであります。そしてその前の30年のイベントとフェーズの変化がやはり日米が逆位相であることを詳細に説明されて私もびっくりしたのです。

  現在、大学は法人化され、行方の知れぬところもありますが、基礎科学に厳しい10年が続くんじゃないかと思われます。しかし、この先例えば原研の中に基礎科学がなくなっても大したことはないと思われるかもしれませんけれども、決してそんなことではなく、やはり原子力っていうのが社会の重要な柱であり続けるのであれば、そこにおける基礎科学が色あせてしまえば、原子力の安全性も長い目で、不確かなものになります。そして原子力の社会的基盤が更に失われてくるんじゃないかということを恐れております。象徴的なこととして私がひとつ心配していますのは、そこの中庭にある楠の木です。これはセンターをつくるときに植えました。あれをご覧になると、先端は良く茂っているんですけれども、基礎が枯れかけている。で、このセンターを今後10年間上手に持っていって頂いて現在のマイナスのフェーズを乗り越え、原研から基礎科学が減失したり、その中身が絶えてしまうことの無いよう格段のご配慮をお願いしましてスピーチと致したいと思います。
 御静聴ありがとうございました。

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